ご自分を愛し、信じる力を深めていただくために=神の子としての自分にかえる旅

girl-1112658_640わたくし達人間がこの世に生まれてくる目的は、人間という生身の身体、この肉体を通して様々な経験をすることで、自らが持つ愛の器をどこまでも大きく、広く、深くすること、だとわたくしは理解しております。
そうして、自らの愛の器の容量が、当初目的としていたところにまで深まったなら、人間としての学びを終えて、今度はまた別の形で宇宙に存在し、「天の聖なるご計画実現」のため、神様の御為に働くことになるのだと。
わたくしは常々そう考えております。

わたくし達が日々生きること=愛のお勉強をしている、のですよね。
その愛のお勉強の大原則、と申しますか、基本となるもの、根幹を成すものは、どなたか、自分以外の大切な誰かを愛すること……ではなく、他でもない、自分自身をまず心から慈しみ、愛せるようになること、です。

わたくし達人間は、もともと、神様の命の御光をわけていただいた、いわば「分け御魂(わけみたま)」です。
ですから、わたくし達の真の姿は「無原罪の神の子」である、とわたくしは小学生の頃から今日までずっと信じてまいりました。

どれだけキリスト教のお勉強(アメリカのプロテスタント、ニューソート系の)を積んでも、わたくしが絶対に洗礼を受けようとしないのは、キリスト教では原罪があるとしているからです。
いくらわたくしがイエス様や天の父なる神様が大好きでも、そこだけは絶対に譲れない。
だから、わたくしはこれからも一生洗礼を受けることはないと思います。

……と、話が脱線してしまいましたが、とにかく、わたくし達人間がこの世に生まれてくるのは、自らの愛の器を大きく深く豊かに広げるため。
そして、そのためにはまず他の誰よりも、自分を心から愛せるように、信じられるようにならなければならない。
つまり、自らを「神の子」として心から信じ、愛せるようになることが、この世でひととして生きることの究極の目的なのです。
ということで、わたくしのサイキック・リーディングも、そうしたことを主眼において、ご提供させていただくものとなります。

今申し上げたようなことを日々意識して生きていらっしゃる方は、一体この世にどれだけいらっしゃることでしょうか?
聖職者の方ならともかく、この世の殆どの人々は、日々、「 ”この世的に” 人間として生きること」で精一杯でしょう。

過酷な競争社会でつねに勝たなければならない!! と緊張し、少しでもひとより自分を優位に持ってゆくことが大事、そして何よりもお金が大事!!
この世で生き抜こうとするなら、そうした思考になるのも仕方がないことかもしれません。

けれど、実は、そうならざるを得ないのは、他でもない、自らが「神の子」であることを忘れているから、なのですよね。
少しでもより多くのお金を求めるのも、「神の無限供給の輪」から外れてしまっているからであり、少しでも自分をひとより優位に立たせようとするのは、「神の子」としての尊厳を忘れ、この世的な物差しで生きようとするからです。

まぁ、もっとも、この世の殆どの人々は、そのことにまるで気づいていないでしょう。
少しでも経済的に豊かになり、ひとより少しでも優位に立つことが、この世でのルールなら、それはそれで仕方のないことなのです。

けれど、スピリチュアルな生き方に目覚めてしまったなら、いつまでもそうした「人間社会のルール」で生きてはゆけません。
なぜなら、スピリチュアルな生き方に目覚めるということは、「神の子としての自分にかえる旅」を始めたことと同義だからです。
ですから、この記事を読んでくださる皆様は、きっと、そうした「旅」を既に始めておられるはずだと、わたくしは思うのですね。

では、その「神の子としての自分にかえる旅」を、この世に在りながらもスムーズに続けてゆくにはどうすればよいのでしょう?
それはただひたすら、祈りと瞑想、そして、そこから得られた知恵を実践してゆかれること、に尽きるとわたくしは思います。

わたくしは今、「祈りと瞑想、そして、そこから得られた知恵を実践してゆかれること、に尽きる」と簡単に申しましたが、これがまたなかなか難しいことでございまして、この世においても、霊的な世界と繋がり、天に在るがごとく生きようとすることは、並大抵のことではありません。
この世的なルールに翻弄され、この世的に生きる人々との間に距離を感じ、本当にわたしは神の子にかえる旅を最後まで続けられるのだろうか? と不安になることなんて、しょっちゅうでしょう。

それでも、いつの世も開拓者、先導者が必要なように、霊的に目覚めたひとから、そうした生き方を重ね、貫いてゆくなら、やがては少しずつ、そうした生き方が他の人々の間においても徐々に浸透してゆくはずです。
海はものすごくものすごく広いけれど、その海も、一粒一粒の水滴がたまりにたまって出来たものですよね?
どんなに微力でも、どんなに自らが取るに足らない者に思えても、宇宙の創造主である神様とご一緒なら、真の平安と豊かさと共に在るはず。
そして、それは最強を意味します。
たとえ、貴女がご自分をどんなにちっぽけな存在に思えても、初夏の川べりに浮かぶ蛍の光のように、貴女が放つ光は柔らかく優しく美しく、ひとの心を魅了してやまないでしょう。
そうした貴女の存在を、周囲の方々が放っておくわけありません。
「彼女は本当に素敵ね。わたしもあんなふうになりたい!」
そうして、貴女から放たれる光が少しずつ大きな輪・和・環となり、広がっていって、やがてそれは世界の果てにまで届くことになるのです。

ですから、どんなに難しく思えても、何度挫折してもいい、それでも、貴女が「神の子さん」、「神の国のプリンセス」として誇り高く美しく、この世で生きてゆくことをあきらめないでいただきたいのです。
そうした生き方を支えるものはこの世に沢山あります。
これまでわたくしも学ばせていただいてきた、沢山の霊的な先達がいらっしゃいますし、この日本国内にも、そうした生き方を説く素晴らしい先生方、スピリチュアル・リーダーさん達がいらっしゃいます。
また、大変拙いものではございますが、わたくしが皆様にご提供させていただいてるものも、全て、そうしたものであるよう、祈りをこめて、世に出させていただいております。
貴女をより光り輝く美しい存在へと導く「教材」は心の目を開けば、この世に沢山あふれているのですね。

どんなに凸凹でもいい、何度躓いてもいい、それでも前を向いて歩こうとする貴女を、わたくし、夢咲璃いは心から応援します。
そして、わたくしも、また皆様に恥ずかしくないよう、大変微力ではございますが、「神の国のプリンセスとしての自分」に立ち返れるよう、これからも精進を重ねてゆきたいと思います。

ご自分を愛し、信じる力を深めていただくために、最も大切なのは、日々の実践です。
沢山の学び、忍耐、努力が必要なのは言うまでもありませんが、何よりも大切なのは、日常にそうした生き方を隅々にまで反映させてゆかれることです。
そして、あとは完璧を目指さないこと!
いつも偉そうなことを書いているわたくしではございますが、まだまだ本当に器が小さく、自分でもびっくりするくらい恥ずかしいことを、平気でひとさまにしてしまうことだってあります。
でも、その度に落ち込んでばかりいても仕方ありません。
こけたら、すぐ立ち上がって、また歩き出すだけ。
めげない心が何よりも大事です。
失敗だらけだっていい、「よくなりたい!」という心が、必ず、貴女を成長させてくれるはずです。
一歩進んで二歩下がるような歩みでもいい、とにかくあきらめず、最後まで歩き続けてまいりましょうね。

今回も何やらとりとめのない記事で大変恐縮ではございますが……。
少しでも、何か、この記事が皆様のお役に立ちますように。
そして、全てがよきに流れますように。

天のお父さまに心からの愛と感謝をこめて。
イエス様の御名において。
アーメン。
アーメン。

☆わたくし、夢咲璃いがご提供いたしております、「聖なるヴィジョン」を生きる女性エグゼクティブのためのサイキック・リーディングの詳細につきましては、こちらをご覧くださいませ。

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