いつなんどきこの世を去ることになっても、後悔だけはしないように

vineyard-1474395_640わたくしは「ひとの生き死にとご縁については神様の領域だ」と常々申し上げております。ひとつ例を挙げるなら、どんなにひどい事故に遭っても奇跡的に助かる方もいらっしゃいますし、その反対に、本当にたまたま「悪いめぐりあわせ」で、あっと言う間にこの世を去ってしまわれる方もいらっしゃいます。ひとの生き死にとご縁に関しては、わたくし達人間にはどうすることも出来ません。ダメなときは何をやってもダメだし、その反対にびっくりするような展開で救われることだってある。これらは全て神様の領域、範疇ですから、わたくし達人間がどう足掻いても、どうしようもないのですね。そこのところは人間としての限界を素直に認め、謙虚に神の前に頭(こうべ)を垂れるしかない、わたくしはそう思います。どんなに科学が発達しようが、神様の御手には決して及びません。その限界をわたくし達人間は今一度潔く、かつ謙虚に認め、理解することが必要なのではないでしょうか? わたくしはそう思います。
(でも、これは、所謂とても難しい病などを全て最初からあきらめてしまえ、ということを申しているのではありませんよ。そこのところを説明しだすとややこしくなるので、ここでは敢えて触れませんが。ここでは、”人間には「寿命」というものがあって、どう足掻いてもダメな時はダメ” 、というわたくしの考えを述べております。たとえ重い病になっても、そのことが即「寿命」に繋がるかどうかは、ご自分のハイアーセルフというか、内なる神にしかわからないのでは? だから、病を治そうとすることで、病に罹った時に皆が予想した「寿命」が延びるということは「あり得る」とわたくしは思います)
神様の範疇、領域を謙虚に受け入れ、人間としての己の限界を認めつつ、その一方で、わたくし達人間はその「限られた範囲内においても」精一杯命の炎を輝かせて、天に召されるその瞬間まで最善を尽くすことが必要なのではないでしょうか? いつ天に召されるかわからないからこそ、一日一日をいとおしむように大切に生きる。たとえ全てが思い通りにならずとも、よりよく生きようとしたこと、そこのところを必ず天のお父さまはご覧になっていらっしゃるはずです。
これは過去にも書いたことですが、わたくしは昔、もしかしたら余命いくばくもないかも……と診断されそうになったことがございました。ある検査の過程において、お医者さまが重篤な病の疑いをお持ちになられて、もしそれが本当なら、長く生きることは難しい……というのが世間一般の常識でございました。
わたくしはある年の寒い2月にお医者さまからそのことを告げられたとき、目の前が真っ暗になりました。しかし、普段何につけ、ひとさまを巻き込んで大騒ぎしがちなこのわたくしが、そのことは母に話すのみにとどめ、後は検査の結果が出るまでじっとひとり耐えたのです。
結果が出るまでの一週間ほどの間、わたくしは気が気でありませんでした。もし、先生のご懸念が現実だったらどうしよう? 夢を叶えるどころか、日常生活もままならなくなる。つらい治療に希望などほぼない暗い行く末、わたしは一体どうしたらよいのか……? と散々自問自答いたしました。
そして最終的に自らの中で出た答えは、「たとえ、もし先生のご懸念がそのとおり現実のものだったとしても、わたしは息を引き取る最後の最後、最期の瞬間まで精一杯この夢を生きよう」というものでございました。二度と渡米も叶わないかもしれない、それでも様々な形で向こうと繋がることは出来る、つらくても、最後の最後まであらゆる可能性を追及して、精一杯悔いのなきよう、生きよう。それがわたくしの出した結論でした。
幸い、その後明らかとなった検査の最終結果で、先生のご懸念は杞憂となり、わたくしはほっと胸をなでおろしたのでした。けれど、あの寒い2月、たった一週間ほどでしたが、真剣に考えたことは、今もわたくしの中で大切な基盤となっております。
そう、どんなにご健康で、それこそお年を重ねられても「ピンピンしていらっしゃるような方」だって、ある日突然不慮の事故でお亡くなりになることもあるのですよね。その反対に、ものすごーく身体が弱くいらして、しょっちゅうどこかが悪い、痛い……とおっしゃっておられた方が案外長生きなさることだってある。わたくし個人としては、長生きするってことはとても素晴らしいことだけれど、スピ系の方によくいらっしゃるような(?)、「125歳まで絶対生きる!!」などとおっしゃる方などには、「そんなに人間続けたい?(毒舌)」と思ってしまうクチです(汗) (さっき、AIR-G’さん のラジオで「サンプラザ中野くん」さんがそうおっしゃっておられました!)
そう、どれだけ長く生きたか、ではないと思うのですよね。勿論、人間として長く生きることはとてもおめでたいことだし、素晴らしいことだけれど。以前、100歳になられても、それでもまだ生きたい!! と強く願われて、病院で最後、随分と「ご抵抗なさった」おじいちゃまのお話もお伺いしたことがございますし。
でも、わたくしはどのように生きたか、そこのところが大事だと思うのです。たとえ短い生涯だったとしても、精一杯自らの命を輝かせて生きれば、それで充分なのでは? そう思います。本音を言えば、ほんと、長く人間やることのほうが疲れると思うのですけれど……ごにょごにょごにょ(以下、略)
わたくし達人間は、「人間としての意識レヴェル」においては、いつ生まれ、いつこの世を去るかは自分では決められません。昨年9月24日にお亡くなりになられた、あの川島なお美さんだって、ご逝去直前、確かにものすごく痩せていらっしゃったけれど、ブログを日々拝見している限りは、普通に日常を楽しく送っていらっしゃるようにさえ「見えました」。わたくしはね、なお美さん、最後の最後、本当に舞台を降りられた、その時まで、ご自分はまだまだ生きられると思っておられたのではないか? そう思うのですよね。それくらいなお美さんの「生きる」という御意志はとてもお強かったのではないかと……。
――話は戻って、とにかく、わたくし達は自分がいつ天に召されるのか、それを殆どの場合、知りません。いえ、たとえ、もし、「それを知っている」という方がいらっしゃたとしても、そんな方は稀でしょうし、大多数の方がご存じない、それが本当のところでしょう。
もしかしたら今日が人生最後の日になるかもしれない、そう考えたなら、一日一日を大切に、後悔なきよう、精一杯生きようと思うのが人間としての素直な感情なのではないでしょうか? その「精一杯」とは何も歯を食い縛って頑張る、とかじゃなくって、与えられた時間を存分に慈しみ、大切に生きる、ということです。
そうして命の炎を精一杯輝かせて生きることで、天に召された後の魂の平安に繋がるのではないかと。まぁ、それこそなお美さんのように、お亡くなりになられても、すぐ次のステージで「頑張って」いらっしゃるような方もおいでかとは思いますが。(参考:2015年10月2日、なお美さんの告別式における、夫・鎧塚さんの御挨拶の言葉より、「女房は他界したくらいでへこたれるような女性ではございません」。)
とにかく、いずれ、わたくし達は皆、平等に、必ず、この世を去ります。ならば、そのお別れの時、最後の最後、息を引き取る最期の瞬間まで、命の炎を輝かせて生きてゆけたら、と願うものです。わたくしの場合は、最後の最後まで、この夢を精一杯追い続けたい。どこまで出来るかわからないけれど。それが今回の人生における、わたくしにとっての最優先事項です。
限りあるからこそ、命は輝く。よく言われることですよね。そう、ホント、もし「人間を500年やれ」って言われたら、わたくしは即「いーち抜―けた☆」ってなると思いますよ。だって、人間として生きることは素晴らしいことだけれど、苦悩もいろいろありますもん。加齢とともに様々な限界も見えてまいりますしね。でも、ホント、500年かどうかは別として、とにかく、終わりがあるからこそ、今ここでなすべきことが見えてくるのだと思います。だらだら永遠に続くほうがよっぽど「効率が悪い」。限りある命だから、大切に、精一杯生きてまいりましょう。この世で懸命に生きた記憶は、必ず来世の魂の平安へと繋がるはずです。
ては自分から。自分を大切に、自分の命を大切に。生きてまいりましょうね。God bless you! :D

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