「夢への翼」を得るために

wing-221526_640今までわたくしのブログ等に親しんできてくださった方なら、一度はやっとの思いで実家を出たわたくしが、なぜ今もこの滋賀に留まっているのか、そこのところをよくご存じのことかとと思います。
2007年の8月7日、生まれて初めて、やっとの思いで実家を飛び出したわたくしが向かった先は神奈川県の箱根町(はこねまち)。これまた生まれて初めて、ホテル様での住み込みのお仕事に採用されて、それまで一度たりとも訪れたことのなかった土地、箱根へとわたくしはひとり向かったのでした。
当時6歳になったばかりの甥っ子(妹の長男)に “「はこね」って「ひこね」(滋賀県彦根市)の親戚か何か?” と思われていたくらい(笑)、こちら滋賀におりますと、よほどのことがない限り、箱根とはあまり縁がない方が殆どかと存じます。当時のわたくしにとっての「箱根」は中学の音楽の時間で習った「箱根の山は天下の嶮(けん)♪」という「箱根八里」のお歌で知るくらいで、当然ながら(?)箱根駅伝さえよく知らず。(今では毎年箱根駅伝をそれはそれは楽しみにしています☆) そんな箱根にどうしてひとり乗り込んでいったのか? それは夢に一歩でも近づきたいという止むに止まれぬ思いがあったから、なのでした。
当時6歳の甥っ子にとって “「はこね」って「ひこね」の親戚か何か?” といったくらいの感覚だった「箱根」は後々、わたくしにとって生涯始まって以来本当に幸せな日々を送らせていただくこととなった土地となり、「我が心のふるさと」となり、その箱根でわたくしは生涯の夢を思い描くようになって、で、その「夢への翼」を得るために実家に一旦帰ろう、ということになり、当時居た伊豆からこちら滋賀に再び帰ってきたのが、2008年の8月31日の夜のことでした。(わたくしは箱根を出た後、今度は伊豆の旅館のお仕事に暫く就いておりました) 伊豆熱川(いずあたがわ)の駅を午後に出て、ずーっと鈍行列車で延々長距離を帰ってきて。今もあるピンクの大きなスーツケースをがらがら引っ張って、わたくしは「すぐにまたここを出られるわ!」くらいの、本当にかるーい気持ちで、ここに「あくまでも一旦」帰ってきたんです。当初の予定では、長くても3年居ればなんとかなるだろう、それくらいに高をっていました。が、ところがどっこい、今まで8年も居残ることとなり。どうしてそんなに長くここに留まらざるを得なかったのか? そこのところを考えてみたのが、このブログ記事になります。
で、結論から申しますと、わたくしがここに8年もの長きに渡り、留まらざるを得なかったのは、ひとえに「自らの器を、夢相応に大きく深く広げるため」だったとしか思えないのです。2007年、生涯の夢に出逢った頃のわたくしは、本当に怖いもの知らずで、これからは本当に薔薇色の未来が開けている、もうなんにも心配などせずともよいのだわ、わたしは幸せになれるのだから!! などと本気で思っていたのです。(なんとおめでたいことよ…… (^^; ) でも、そうは簡単にことが運ばず。ま、それが人生ですものね。それから今日までの8年間、その「あまりに壮大な夢」に合わせて、自らのちっぽけな器を大きく深く豊かに広げるために、サイキックに目覚めた2007年までの人生とは、格段に違うレヴェルでの人生の試練に向き合わざるを得なくなったのでした。
この8年間、わたくしがもがきにもがき尽くしてきたことは、これまでも散々ブログで書いてまいりましたので、皆様もよくご存じのことかと思います。そうして器を広げてゆかざるを得なかったのは、出逢ってしまったこの夢のため。それはわかります。でも、なぜ、当初の目的であった「夢への翼」が今に至るまで延々得られなかったのか? それは本当に心の底から、その夢に自分がふさわしいと思えるところまで、心を強く持てなかったからではないか? そう今となっては思います。
わたくしが先月10日に大阪・梅田で作家の佳川奈未(よしかわ なみ)先生にお出逢いしたことはこれまで何度もブログに書いてまいりましたが(正確には先生のサイン会に参加させていただいた)、実際先生にお出逢いしてから、改めて先生の御著書の幾つかを紐解くと、それまで特に大きく心に残っていなかった、先生がこれまで積んでこられたご努力について、今なら、とてもよく心に残るのですよね。一見、先生はあれよあれよという短期間の間に大成功なさり、ものすごい富を築かれた、そんなふうにお感じになられる方が多いのではないかしら、そう思います。(過去の自分を含め)
でも、実際のところは、先生は長年に渡り、様々なチャレンジや努力を積んでこられたのですよね。3人のお子さまをお連れになられて、所持金9万円で家族4人で上京なさった、という誠に無謀な(?)こともなさってこられたわけですし。そうした数々のご努力が実って、今の地位を築かれたのです。だから、当然といえば当然のこと。そういう意味でも、やはり先生はものすごい方と言えると思います。
わたくしが自らの現在の器を顧みず、それでもそうした素晴らしい伝説と言えるほどのストーリーを築いてこられた奈未先生に心から憧れ、少しでも先生のようになりたい!! と心から願うのは、わたくしにはわたくしにとっての「奇跡のストーリー」を思い描き、ずっとこの10年ほどの間、心に大切に抱き続けてきたから、なのですが、その「ストーリー」にね、これまでのわたくしは本当に心から “YES!” ということが出来なかったのではないかな、そう今となっては思うのです。
夢へのものすごい憧れ、こうなってほしい!! という強い思い、それは確かにありました。でも、どこかでそれを許してこなかった。心のどこかで、それは単なる夢物語に過ぎないのでは? という思いが幾らかは残っていたように思うのです。そして、そのほんの「幾らか」の思いが、実は大きな妨げとなっていたのではないかと。というか、簡単に言えば、自分が幸せになるのを許せなかった、許してこなかったんですね、わたくし。
わたくしの日常はいつも争いが絶えず、つねに不安と隣り合わせでした。どんなに「きちんと」やったとしても、永遠にそれがよしとされることはなく、絶えずダメ出しを受けて、そんなことばかりで、心がやすらぐことなど殆どありませんでした。そんなだったから、絶えず何か問題を抱え、実際、それが尽きることはなかったし、いつも「次、何が起こるんだろう?」とびくびくしていました。
箱根に移動したばかりの頃、家じゅう追いかけられて、最後の砦となるトイレのドアさえこじ開けられて、悲鳴を上げて目が覚める、汗びっしょりになって飛び起きる、ということが何度もありました。それはそれはかなしく、本当につらかったです。でも、やがて箱根で公私ともによい方々に恵まれて、少しずつあの森での暮らしにも慣れていって、だんだん生活が落ち着いてくると、それまで35年間わたくしの中に巣食っていたどす黒いものがだんだん晴れていって。その後お休みをいただいてボストンに渡り、年末を幸せに迎えた頃には、わたくしの中のそうしたどす黒いものもすっかり抜け落ちていっていたようで、移ったばかりの頃よく見ていた悪夢にうなされることも殆どなくなっておりました。
でも、ここに帰ってきてからの日々は、その悪夢の再現だったわけ、なのですよね。わたくしはずっとそうした影響下で、ずっと自分を「まっとうな者として見れず」、自分を追い詰めてばかりでした。何をやってもよし、と思えず、絶えず頑張らなきゃ、頑張らなきゃって。必死にどれだけ頑張っても思いが満たされることはなく。
それでもね、ようやっと、ここに帰ってきてからまる8年を迎えつつある今、ようやく、少しですが、自分に自信が持てるようになってきたのです。確かに、わたくしは「未だ夢ばかり見ている痛い40女」なのかもしれません。けれど、自分で言うのもなんですが、ここまでくるしい思いをし尽して、それでも夢を信じてあきらめずにいるって、それだけでもすごいこと、なんじゃないか? と。
ずっと昔からのわたくしをご存じの、地元の、プライヴェートのわたくしをリアルにご存じの方なら、「あのひと、いつまであんなアホなこと、言うてはんの?」とお思いかもしれません。でも、わたくしには、2007年、ここをやっとの思いで飛び出してからの、今に至る9年もの長きに渡るストーリーがあるのです。わたくしが歩んでまいりましたこの道、経験してまいりましたことの全ては間違いなくわたくし自身のものです。わたくしだけのものです。その全てをご存じない方に、わたくしの夢についてとやかくおっしゃる権利はないと思うのですね。(と、勇気を持って言ってみる)
ですから、わたくしは、自分がおひとにどのように見られるか、などということを気にせず、ここまで歩んできた道、積み重ねてきた経験、そしてこれまで9年もの間、神様がご提示なさり続けてきた道を、もっと自信を持って、心から信じたらよいと思うのです。そして、その夢にふさわしいだけの自分だと、高らかに宣言をすればよいと思うのです。そうすれば、やがて、しかるべき時に「夢への翼」を授かるのではないか? と。今まで、心のどこかで遠慮というか躊躇いがあって、心の底から「わたしはこの夢を生きる人間です!」とは言えなかった。けれど、今、奈未先生が歩んでこられた道を改めて紐解くうちに、自分にも自分の夢を歩むだけの資格がある、そうちゃんと言えるようになったと思うのです。わたくしにはわたくしだけの夢がある。それは本当にわたくし自身のオリジナルで、唯一無二のものです。それをおひとは「何をバカげたことを」とおっしゃるかもしれないけれど、わたくしの中では、わたくしの霊的感覚においては、それは今も決して揺るがないもので、燦然と輝く、わたくしにとっての「最高の人生のストーリー」にほかならないのです。
「夢への翼」は、本当に心の底から自信を持って、自分の夢に対して “YES! “ と言えるようになったときに備わるのではないか? そう思います。これまで自分が育ってきた環境や、残してきた業績、あるいは、住む土地や、抱えている背景、今の自らを取り巻くありとあらゆるものを思うとき、夢に自信を持って “YES!“ ということはなかなか出来ないかもしれません。それはある意味非常に難しいことなのかもしれません。
けれど、わたくしは現実がどうであれ、この世を去るときに後悔だけはしたくないから。精一杯今回の人生を生き切りたいから。だから、これまでだって、様々なものとたたかいながらも、必死に自分の道を貫いてまいりました。だから、後悔はひとつもないし、これからもそうした生き方を貫いてまいる所存です。どんなにわがままと言われようが。
わたくしには神様から与えられた大切な夢があります。それは神様がわたくしという霊魂を選んで、お与えくださった、天の聖なるご計画の一端を担うもの、です。ですから、何があっても、わたくしはこの夢を必ず叶えてゆかなければならないのです。そして、そのためにいちばん必要なことは、心の底からその夢に対して “YES!” と言うことなのだと思います。
ここまで思えるようになったことに感謝、そしてここまでわたくしを成長させてくださった全ての御存在、神様に心から感謝いたします。どうかこの夏、そして秋、冬にかけて、大きく羽ばたいてゆけますように。今こそ、羽ばたきの時。その先がどちらなのかは、この先のお楽しみ。心の赴くまま、これからも夢咲璃い、精一杯夢を生きてまいります。

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