全ては益となる ~ つらい境遇にあったからこそ、わかったこと

わたくしは今から遡ること4年、2012年の12月に「落ちるところまで落ちまして」、翌2013年の1月から今日に至るまで、必要に応じて、短期の派遣のお仕事を重ねてまいりました。今、お世話になっております事業所様でのお仕事も間もなく3ヶ月目に入ります。今回も大変ありがたいことに、いつも皆様がとてもよくしてくださいますので、お陰さまで、とても楽しくお仕事をさせていただいております。
昨日もたまたまお昼休みにご一緒した方たちから、「お仕事はいつまで?」とお尋ねいただいたことをきっかけに、これまでのわたくしの来た道(短期の派遣のお仕事を転々としてまいりましたこと)についてお話しすることとなり。そこで改めてわたくし、今までお世話になってまいりましたどの事業所様でも本当によくしていただいてきたなぁ……と感謝の念で胸がいっぱいになったのでした。
これまでわたくしのブログ等に親しんでくださってきた方なら既にお気づきでございましょう、わたくしは「ただ自分がそこにありのままにいること」すら否定されるような環境にずっとおりました。それゆえ、いつもパワーゲームの犠牲者となり、自らの存在を悉く軽んじられ、全うにひとりの人間として見てもらうことはありませんでした。つねに緊張関係、たたかいの場におりましたゆえ、普通にフラットに、対等に、ただ会話を楽しむことすらままなりませんでした。いつも あげあし をとられ、けちをつけられ、ダメ出しをされ。そんなことが四六時中当たり前の環境におりました。
そんなだったから、ありのままの自分が肯定され、尊重され、全うに見てもらうということを経験としてまるで知らず、それゆえ、これまでの人間関係においても、いつもアンバランスで、どこかおかしかったと思います。けれど、四十路半ばになって、わたくしがずっと慣れていた人間関係ではないほうが普通なのであり、全うなのだとやっと体感的にわかるようになりまして。そんなこともあり、この夏はこれまでの忌まわしい記憶のクリーニングに懸命です。
最近身にしみて思うのは、これまで様々な事業所様でお仕事をさせていただいてきて、お出逢いした多くの皆様が、わたくしをきちんとひとりの人間として全うに見てくださったこと、そのありがたさ、尊さでございます。このことが今の自分にとって、どれほど大きな救いとなっていることか。わたくしは長年不健全な人間関係に浸りきっていたから、普通の全うな人間関係のありがたさが本当によくわかるのですね。このことについての感謝は、わたくしをきちんとひとりの人間として全うに見てくださった方々に向けては勿論のこと、わたくしにつらい思いをさせてこられた方々に対しても向けなければならないと思います。
正直、自分がされてきたことについての怒り、かなしみはものすごいですし、それは生涯消えることはないでしょう。そんな生易しいものではないですし、いくらスピリチュアルな世界で許しの大切さを説かれようが、過去のそうした方々(=わたくしにつらい思いをさせてきた方々)の存在をだんだん意識しなくなることはあっても、到底許すことは出来ないと、今の段階では思います。
けれど、たとえ表面的であっても、そして、ほんの一瞬でも、そうした方々がわたくしに身をもって教えてくださったこと(=これはある意味、大変な皮肉に聞こえますが)、そのことについての感謝の気持ちは、ほんの1グラムだけでも持たねばならない「とは」思います。99許せなくても、1だけは感謝しよう、と。だって、そういうつらい目にあってきたからこそ、おひとの痛みがわかるし、世の大多数の方々にとってはごくごく普通であろう、ちょっとした会話を楽しめる人間関係のありがたさ、尊さを本当に心から感じることが出来るのだから。普通に会話をキャッチボール出来る、そこに相手をやりこめようとしたり、あげあし をとろうとしたり、ダメ出しをしようとしたり――などの何らかの悪意がないこと、敵意がないことがどれほど安心出来て、心が温かくうれしくなるものであることか……。全うな人間関係をまるで知らなかったわたくしには、世の大多数の方々にとってごくごく当たり前であろうことが、本当に心からありがたく思えるのでした。
――などと、ここまで書いてまいりましたが、わたくしもまだ四十路半ば、まだまだ半人前の人間でございます。喜怒哀楽がとても激しいですし、まだまだ本当に狭量で、すぐに ぷんすか 怒ってしまいがちなところもあります。
けれど、そうした未熟者であることを承知しつつ、スピリチュアリストとして偉そうなことを申し上げるなら(汗)――、魂レウ゛ェルで見るなら、この世のどんな出来事も益となすことが出来るのですよね。――天にかえったとき、この世での経験を全て神様に見せられるとして、人生のありとあらゆる出来事、その経験を通して、霊魂としての自分は何を学んだか? そこのところが問われてくるそうです。ということは、どんなことも魂のための大切なレッスンなのであり、魂磨きのためであるとも言えるのですよね。まぁ、これは完全に「よい子としての回答」になりますが。
今申し上げたようなことが事実なら、やはり、全ては益となる、そう言えるのではないか? と思います。わたくしがこれまで大変つらい境遇に甘んじていたことも、そうした経験があったからこそ、学べたこと、得られたことがあった。ならば、そうした境遇にわたくしを追いやった方々でさえ、「人生の師」と言えるのですよね。まぁ、今のわたくしにはまだまだきれいごと、上っ面の言葉に過ぎませんが。
というわけで、今日は人生、つらいことも多かったけれど、お陰で学べたこともあったなぁ……! というお話でございました。今回も最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。貴女にとっての全てがよきに流れますように。God bless YOU! 璃いより、愛をこめて。

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