パンドラの箱が開いた夜 ~ピアノとパーカッションの異色ユニット「227(にーにーなな)」さんの “STARS” に「ひと聴き惚れ」して~



歌好きの母に育てられたわたくしは幼い頃からお歌をはじめとする音楽が大好きで、小学3年生から(記憶が曖昧なので、もしかすると2年生からかも?)中学3年生までコーラス、小学1年生から高校に入って暫くの頃まで、ずっとピアノを習っておりました。
ピアノはお世辞にも「練習好き」とは言えなかったため、自分が本当に好きな曲のみ俄然はりきって取り組むタイプ。コツコツ地味な練習曲の「ツェルニー」なんかは大嫌いで、全く練習をしてゆかず、先生をよく困らせていたりしました。
でも、ショパンの甘美なメロディなんかは本当に大好きで、そうした曲はどんなに小さな手がゆえのハンデ(あまりに手が小さいんです)を抱えていても、張り切って何度も練習するんですよね。「嫌なものは嫌」という超わがまま、かつ極端な性格が当時からよくあらわれていたわけです。
中学もブラスバンド部に入ってクラリネットを吹いたり、とにかく「音楽漬け」だった少女時代のわたくしは、貧しい家庭ながらもそれなりに文化的には豊かな環境で育てていただいたと思っております。(滋賀の片田舎の「労働者階級」、それも豊かではない家庭に育った娘としては) ずっとお世話になっておりましたピアノの先生も県下で数本の指に入られるほどのご立派な先生でございましたし。
そうして育ったわたくしにとって、音楽は本当に欠かせないものでございました。何よりもお歌を歌うことが大好きで、若い頃は歌手のオーディションにテープを送ったこともありましたっけ。大学の一般教養の音楽を担当なさっておられた、他大学からいらしてくださっていた先生(確か、作曲がご専門でいらしたはず)に、自分でつくったピアノ曲のテープを大胆にもお渡ししたこともございました。また、20代の頃は大学時代の友人の誕生祝いにピアノで曲を作って贈ってあげたこともありました。
そんなわたくしの人生、やがて20代半ば頃から「だんだん全てがうまくゆかなくなり」、わたくしにとって「歌うことは生きること」だったのに、それさえも出来なくなりました。思えば、その頃からでしょうか、ひとさまとお話ししていても、「えっ?」と聞き返されることが多くなっていったのです。
昨晩、わたくしはご縁あって、あるインターネットラジオの番組に登場させていただいたのですが、番組をずっと聞いていて、あまりにわたくしの声が「通っていない」ことに愕然としました。なんというか、「からっから」といった印象を持ったのです。芯がまるでない。ふわふわ抜けてゆくような虚ろな音の羅列。それが昨晩わたくしが話す声をひととおり聞いての感想でございました。
いつしか……、そう、多分「お歌を歌うことを止めた」頃から、わたくしはだんだん自分を押し込めて生きてしまうようになったのだと思います。けれど、本来持っているものはとても激しい。そんなわたくしがこの20年ほど、ずっとその葛藤にひとりくるしんできたのは当然といえば当然だったのかもしれません。
もう随分前からそうしたことに薄々気づいていたこともあり、「なんとかせねば」と切羽詰まっていたわたくしは、昨年の誕生日から、少しずつですが、へたっぴな歌を YouTube上にアップし始めました。著作権等の問題もあるから、完全なアカペラの、「ただの鼻歌」レヴェルの、誠にお粗末な歌声でございます。けれど、必ず月に一度は歌ったものをアップしようと決めて。これは、ある意味、「わたくしを取り戻す」大切な活動のひとつ、なのでした。
2月、つめたい小雨が降りしきる中、無理して、自転車を引っ張って歩いて出かけた中で、わたくしは大きな二重の虹を見ました。その日は丁度「本当に今度こそ、この道を真剣に歩いてゆこう。これからは Office Sorae 一本でやってゆこう!!」と決意した日でございました。そんな日に、大きなダブル・レインボウを見ることが出来た。傘を差すほどでもない小雨が降りしきる中、強い冬の風がその雨を斜めに降らせて、全身はずぶ濡れでした。けれど、それでも、わたくしは若干のお日さまが差し込む曇り空(というか、前述のとおり、ずっと強い風が吹きぶっていたせいで、小雨が斜めに降っていたんですけれどもね)のもと、大きな二重の虹を見上げて、「あ、これはきっと札幌にも行けるってこと、なんだわ♪」とひとり「感動に打ち震えて」いたのです。
あれから2か月あまり。決心して歩み始めたものの、やることは山のようにあり、相変わらずの目の前の厳しい現実に負けそうにもなり。特にここ数日は熊本・大分での地震の報を絶え間なく(ラジオで)聞いて、わたくしも何か大きく揺さぶられたのか、どうしていいのかまるでわからない状態でした。ある日などは全く何も手につかず、本当に途方に暮れてしまっておりました。
けれど、昨晩、たまたま聞いていた、クラシック専門のインターネットラジオ局 OTTAVA(オッターヴァ)の番組、「OTTAVA Salone(オッターヴァ サローネ)」から流れてきた曲にとっても心打たれたのです。それは、ピアノとパーカッションという異色ユニット「227(にーにーなな)」さんの “STARS” という曲でした。最初なんの気もなく聞いていて、でも、「うん?」とそのメロディの美しさに気がついて。一気に引き込まれました。そして、まるで一目惚れで恋に落ちたかのように、すぐにこの曲のとりこになってしまったんです。
美しいメロディに心のどこかがこれまた大きく揺さぶられたのでしょう、わたくしはいつの間にか泣いてしまっておりました。以後、番組が終わっても、YouTube で見つけた音源をヘビロテして、延々、泣く、泣く、泣く。
ここのところ、ボストンが舞台のアメリカのドラマ( “Ally McBeal” みたいに「なんちゃってボストンが舞台のドラマ」ではなく、本当にボストンの各所でロケが行われている)”Chasing Life” (邦題:「マイ・ライフ~私をステキに生きた方法」) を見ては、8年前の丁度今の時期に訪れていたボストンをとみに懐かしく感じておりました。そして、気づいたらいつの間にか始まっていた「今に続く、運命のストーリー」を思い起こし、改めて神様がわたくしにお与えになられたものの重さに気がついたのです。
「227」さんのこの曲、”STARS” は、改めてその「今に続くストーリー」に立ち返ることをそっと教えてくれたかのようでした。この運命の道に出逢って以来、わたくしはずっと「本当にこれでいいの? わたしなんかが本当にこの道を歩んでいいの?」ってずっと疑問だらけでした。でも、2007年の春のある夜、「どうしよう? どうしよう?」って散々ひとりで悩んで眠れずにいたら、突然心の底からむくむくと湧き上がってきた大変強いものがあって、だから、わたくしはこの道を選ぶ決心をしたのでした。全てはあの日の夜の決心から始まっているのです。
その道を歩んで、今年で丁度10年目。これまで、沢山沢山ひとさまに多大なるご迷惑をおかけし尽くしてまいりました、またわたくし自身も散々傷つき、迷い、落ち込んでまいりました。今もって、まるでこの「荒唐無稽な “運命のストーリー” と強く信じざるを得ないもの」を信じているのは、この世でおそらくわたくし、たったひとりであって、ひとさまからご覧になられたら、「何をいつまでも血迷ったことを」とか、「いい加減目を覚ましなさい」とおっしゃる向きもあることでございましょう。わたくしだって、自分自身、「いつまで妄想にしがみついているの?」と思うことが全く無いかと言えば、それは嘘になります。
けれど、そうした迷いを全部きれいに取り払ってくれたのがこの曲、”STARS” だったんです。この曲を聴いて、わたくし、思い出しました。まだ30歳か31歳の頃、産業カウンセラーの講座に通う為、ほぼ毎週末、始発に乗って名古屋まで3時間近くかけて通っていたころのことを。メンタルに大変弱いものを抱えていた(それは今も現在形ですが)わたくしにとって、カウンセリングのお勉強で行う実習はそれはそれはきついもので、しょっちゅう指導役の方に食ってかかったり(?)、感極まってぽろぽろと泣いてみたり。当時、同じ講座に通っておられた方々は、まさに「戦友」でございました。
そんなつらい実習も乗り越えて、なんとか無事翌年の2月だったかな、試験に合格したわけなのですが、この “STARS” を聴いて、当時、暑い暑い名古屋の夏、ノースリーブのベージュのワンピースを着て、名古屋の街を歩いていた、かつての自分を思い出したんです。あの頃も療養中で先が見えなくてつらかったよね、でも頑張って遠い名古屋まで鈍行列車でちゃんと通っていたよね、今よりうんと貯金もあったはずなのに、お金のことも不安で仕方なかった、でも、それもちゃんとなんとかなったよね、あの頃、頑張ったから、今があるんじゃないの? ――今からもう13年程も前のことなのに、あの名古屋での講座の日々を懐かしく思い出したことをきっかけに、今、ここでこうしてもがきにもがいている日々も、きっといつかいい実を結ぶことに繋がるのだろうし、よい思い出になるのでは? って思えたんです。
実は、わたくしが昨秋いただいた天からのご啓示というのは、まさにこの「わたくしにとっての運命のストーリー」への “原点回帰” を促されるものでございました。その困難さ、重み、そうしたことがもたらすリスクについては、わたくしが嫌というほどよくわかっております。今のわたくしの置かれた立場、もう決して若くはないこと、そうしたことを踏まえて、ちゃんと冷静に考えても、それは「あまりにも無謀」で、一体何をどうやって手をつけていったらよいのか、わからないことだらけでした。先月わたくしにとっての「先生」に数年ぶりにお逢いして、わたくしの夢について改めて励ましていただきましたが、そうした天からいただいている祝福を差し引いても、「あまりにあまりに無謀すぎて」。ドラマ “Chasing Life” をすっかり「画面の向こう側のこと」としかとらえられなくつつある今のわたくしにとって、「夢への “原点回帰” 」など、本当に無謀極まりなく、かつ、とても危険なことに思えて仕方なかったのでした。
そうした「原点回帰」につながる行動のリスクを、他の誰よりもこのわたくしがよくわかっているから、だから、わたくしはずっと天からの「ご啓示」をいただいても、特に何も具体的な行動をとらずに今日までまいりました。けれど、昨晩この “STARS” を聞いて、自分の中には、自分が思っている以上に、もっと深く、強く、そして熱いものが存在していることに気づいてしまって。それで涙が止まらなくなってしまったんです。一体どうしたらよいのか? 心は「そっちに行きたい」と言うけれど、今のわたくしにはあまりにもリスクがありすぎる。夢を叶える方法はいくつもあるだろう、けれど、神様がおっしゃる道はあまりに無謀すぎる、そんなふうに「頭では」自分なりの答えを出していたつもりでした。でも、この曲を聴いて、そんなものなど吹っ飛ぶほどの熱い思いに自分で気がついてしまったのです。
昨日、少しでもお仕事の進展に繋がれば、と、J-WAVEさん の “INNOVATION WORLD” という起業家の方々が登場なさる月いちの番組の Web Page を熱心に拝見しておりました。そうした起業家さん達の中で、特に気になった方については、外部サイトのインタビューページや、御会社のサイトなんかも拝見して。そうした「煌く星の如き方々」(=まさに “STARS” でございますね☆)が皆さんおっしゃるのは、やはり、「人生は一度きり」とか「やりたいことをやらずして、何が人生だ」みたいなお話が殆どでございました。もっとも、この番組にこれまでご登場なさった方々は大体平均年齢30代といった感じで、皆様まだまだお若いし、そのお若さゆえの勢いというものもあるのでしょう。けれど、元来自分に嘘がつけず、好きなものは好き、夢を思いっきり生きたい!! という「爆裂型?」の性分のわたくしには、こうした起業家さん達の言葉は、本来の自分を呼び起こすものだったのです。
「そうだよね、そうだよね!」「なら、なぜここに自分は留まっているの?」ボストンどころか未だに札幌にも行けない自分に何が出来るのか? それを思うと途方に暮れます。でも、昨秋ご啓示をいただいてから、本当は、とっくに自分の中では「答えが出て」いるのに、なのに、それがあまりに無謀すぎることなので、わたくしはそれを心の中の、大きく頑丈な金庫にしまって、カギをかけて、見ないふりをしてきたのでした。けれど、そのいつの間にか心の奥底に「押し込んでしまった」感情が、何度もあきらめずにノックを繰り返すので、ますます混乱して、今のわたくしは身動きが取れないだけなのかもしれません。
実はここ一週間ほどかな、わたくしはずっと、これまでにないほど強く、神様とコンタクトを密に取らせていただいております。神様がおっしゃる方向に動かないがために今の状態に(「ドツボ」ともいう)にはまってしまっているのならば、勇気を出して、導かれる方向に歩きださなければなりません。それに改めて気づかせてくれたのが、この “STARS” だったようにわたくしは思うのです。
素晴らしい芸術作品は、心の奥底に押し込んでしまったものを大きく揺り動かし、その人が本来歩むべき道に軌道修正させるだけの不思議な力があるのかもしれませんね。かつて東京国立近代美術館で見た東山魁夷(かいい)画伯の素晴らしい絵「残照」(わたくしが最も好きな絵画です)のなんとも言えない豊かさ、深さ……、その魅力を思い起こしながら、この文章の最後を締めくくるわたくしなのでした。
“STARS” 、いつかわたくしも夜空に煌く星のひとつになれるのでしょうか? わたくしにとっての「北辰」(ほくしん)、その存在のあまりの大きさに圧倒されながらも、明日からの身の振り方を改めて考えなければ、と思う今日のわたくしなのでした。

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