Feel Good の大切さ

flowers-1235785_1920自らの(今の)状況を指して、「どうして “こんな” なんだろう?」と思えて仕方がないときというのは、おそらく、何かに気づけていないということが殆どなのではないか? と思う。

「自分ではこんなに頑張っているのに!!」と思えても、何かに気づくまで、その状況は延々続く。
神様に泣いておすがりするのではなく、「どこを正せばよいのか、それに気づけるよう、お導きください」と祈るほうが、解決はずっと早い。

自己評価が低いと、どうしても、知らず知らずのうちに不快な状況が当たり前になってしまっていて、それに甘んじてしまっていることが非常に多いのではないか?
そんなだからストレスもたまるし、いつまで経っても生命エネルギーが枯渇したまま。
延々、悪循環なのである。

それはまるで、ガソリンもないし、エンジンだって壊れているのに、スポーツカー並みに高速をぶっ飛ばしたいと願うようなもの。
それでは、ほんと、いつまで経っても堂々巡りなのだ。

だから、そういうときは自分の快・不快にもっと敏感になったほうがいい。
いつもその場にいるひとさまの顔色が気になって、知らず知らずのうちに、自分の正直な思い、素直な感情を無意識のうちに押し殺してしまっていないか?

そんな状態が延々続くと、やがて魂は悲鳴を上げて、わたくしみたいに突然鬱に陥ったりしてしまう。
解決はもっと身近なところ(自分の中)にあるんだ。

自分の快・不快をちゃんと気づいてあげられるように。
自分を粗末に扱わないように。

生命エネルギーを高めたいなら、もっと楽に、自然に、自分が快適に居られるように、気を配ってあげることが大事なんだよ。
そこから全てが始まるんじゃないかな?

とは言っても、ずっと自分を粗末に扱ってきたなら、それが当たり前になってしまっていて、自分ではなかなかそうしたことに陥っているとは気づかないことが多い。

心や身体の不調があらわれたなら、きっと何か気づいていないことがあるんだと思う。
不調が当たり前になってはいけない。

そういう意味でも、「良質なもの」「よきもの」「健全なもの」「一流のもの」を知ることはとても大事。
人間は自分が知っているところ以上には決して辿り着けないからね。

欲を貪るんじゃなくて、健全な、本当の意味での、快適なもの、良質なもの、よきものに触れて、自分にとって、どこまでが許容範囲で、どこからが無理、といったことをひとつひとつ身体で覚えてだね、そして、それを可能な限り、守ってゆくことが大事なんじゃないかな?

無意識のうちに、いつもひとさまの顔色ばかり窺って、嫌われるんじゃないか? と、無意識のうちに何事も「我慢する」ことが当たり前になっていないか?

自分を粗末にして何もよいことはない。
自分の快・不快にもっと敏感になろう。

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