霊的な自尊心をどこまでも高めてゆくということ

eucharist-706654_1920スピリチュアルなお知恵に普段から慣れ親しんでいらっしゃる方であれば、所謂「引き寄せの法則」や Vision Map 等、ご自分の願望を実現してゆかれるにあたっての様々な方法につきましては、既にご存じのことかと存じます。しかし、そうした過程において、自尊心がどれほど大切であるかは、あまり世間ではまだまだ言われていないようにわたくしは感じます。
自尊心、もともと日本ではこうした概念が非常に薄かったようでございますね。しかし、健全なる自尊心を育み、維持してゆくことは、ひととして生きてゆくにあたって、非常に重要でございます。
自尊心が低いせいで、物事が思うように進んでゆかないこと(=天からの御恵みをきちんと受け取ることが出来ない状態にあること)、まぁ、これは、皆様に親しみのある表現をするならば、スピリチュアル的に言うところの「受け取り下手」ということになるのでしょうが、ことはそう簡単 & 単純ではありません。自らを愛して、自らの存在価値を信じ、それを(自分の中において)高めてゆくこと、というのは一朝一夕に出来るものではございませんし、なかなか難しいことなのです。
例えば、わたくしの場合、自尊心が極端に低い状態であること、そしてその「おおもと」があまりに根深く & しつこく & 太く かつ、大きいので、そうした状態を克服してゆくのは、並大抵のことではありません。これは生まれ持った霊的なカルマからそうならざるを得ないのですから、「普段、人間として使用している領域」において、いくら「自尊心を高めましょう、育てましょう!」と言っても、霊的な、目に見えない部分に巣食っているものがあまりに「恐ろしいほどのレヴェル」なので、そう簡単にことは解決してゆかないのです。
それゆえ、わたくしは今までの40数年間の人生の全てにおいて「あまりにもひどい、困難な状況」が続いておりまして、今も非常にくるしんでいるのですが、やはり、その全ての「おおもと」にあるのは、あまりに低い自己評価、それも霊的なレヴェルにまで達する――だとしか思えないのですよね、どう考えても。わたくしがこれまでの過去世において、どれだけ罪深いことを背負ってきたのかはよくわかりませんが、とにかくあまりにもひどすぎる。それゆえ、わたくしは未だに「ここにずっと留まらざるを得なかったり」するのです。
ならば、それほどまでに根深い負のカルマをどうやって克服 & 解放していったらよいのか? それはただただ神様にお頼みするよりほかありません。勿論、その一方で自らを尊び、愛することについて、繰り返し飽きるほど学び、本当に自分のものに出来るまで、根気よく自分と向き合ってゆくしかありません。そして、もうひとつ大切なこと、それは自らの負のカルマを解放するために、自らが最も恐れていることに立ち向かってゆかなければならない、ということです。
わたくしの場合、それは「運命の扉」とでも言うべきものでございまして、わたくしはかつて一度それに遭遇しております。しかし、その扉の開け方があまりにひどかったためか、扉を開けた後、真っ逆さまに深い深い谷底に向かって落ちてゆく羽目になりました。そこから這い上がってきて、やっと「ここ」に至り、そして、今、再び、わたくしはその扉の前に立っております。そして、もう一度その扉を開けるときを迎えております。
この先、この扉を開けて、その向こうに何が待っているのか、わたくしにはわかりません。もう一度勇気を振り絞って扉を開けても、またそこに何もなく、またまた真っ逆さまにあれよあれよという間に落ちていって、今度は以前よりもさらに深い谷底に叩きつけられることになるのかもしれません。それはとてもとても怖いことです。けれど、今、勇気を出して、この目の前の扉を開けなければ、わたくしが次にゆけないのは、明らかなのです。
その「運命の扉」とは、結局のところ、自分を信じられるかどうか、試されているのだと思います。自らが本当に心から憧れ、ずっと手をのばしたかったもの……、それに一度手を伸ばそうとしたものの、あっけなくそれは目の前からすっと消えてしまい、以後、わたくしはずっとひとり深い谷底を這いつくばるような日々を今日まで送ってまいりました。しかし、あれから何年も経って、漸く以前居たところまで戻ってこられた。あとは、勇気を出してもう一度、目の前の扉を開けるだけ。その先は断崖絶壁か、あるいは白亜のお城が待っているのか? それは開けてみなければ、決してわからないのです。
いずれにせよ、この運命の試練を乗り越えなければ、次はありません。次にゆけないのです。その試練を乗り越えて、次にゆくためには、わたくしの霊的な本質に今一度立ち返り、魂の奥底に眠る、わたくしという魂の本当の姿、きらきらと光り輝くものを信じなければならない。それを信じられない限り、扉自体が開くことすらないのでしょうし、その扉を開けた先はまた空っぽ、何も待っていないのだとわたくしは思います。
すなわち、これまでずっと人生を生きてきて、次のステップにゆこうとするとき=新たな物事をこの世に顕現させたいとき、というのは、結局のところ、自らの霊的本質にどこまで立ち返ることが出来るか、にかかっているのだとわたくしは思います。自らの霊的本質をちゃんと理解し、それに見合った、ふさわしいものを天が与えてくださるのなら、それを有り難く頂戴する、拝受する。それが出来るかどうかは、全て、自分を本当の意味で肯定し、理解し、尊重しているか、そこが問われてくるのですね。自分を信じられず、粗末に扱う一方なら、せっかく天が与えてくださる御恵みを受け取ることなど到底出来ず、永遠に窮乏のサイクルの中できゅうきゅうと生きるのみです。それで本当によろしいのでしょうか?
望む何かを得る、というのは、自らの欲望のままに、何かを貪ることではございません。天が与えてくださる御恵みを謹んでお受けし、それを大切に扱い、さらにそれをよきものとして、次の世代に引き継いでゆくというプロセス、生き方こそが大事なのです。そうして大いなる御存在である神の恩寵のもとに生きるところにこそ、本当の意味での霊的な豊かさがあるのです。何でもかんでも我欲で引き寄せ、実現してゆくことが、聖なる神の子としての生き方ではございません。
とは言え、ひとそれぞれに受け取れる器の大きさ、深さは異なってまいりますから、天から(謹んで)お受け取りする豊かさの総量はまたひとりびとり異なってくるのですけれどもね。いずれにせよ、自らの霊的な器に従ってのみ、天の御恵みは与えられるのであり、それ以上の何かを望むなら、なお一層自らを霊的な高みにのぼらせるよりほかないのです。
自らをなお一層霊的な高みにのぼらせるということは、大いなる献身が求められるということであり、そこにこそ霊的な意味でのノーブレス・オブリージュが求められてくるのです。そこまでの覚悟と決意をもって歩めることが大前提です。それなくして更なる御恵みを求めても、目に見えない霊的なレヴェルでのバランスが崩れるだけです。天の無限供給のシステムはとてもシンプルであり、天の法則にしたがって生きる者だけが、正しく受け取ることが出来るのです。
要はどれだけ自らの神性を信じ、その神性の深さに応じて得られる天の御恵みをどれだけ有効活用できるか、そして、とにかく自らの霊的な自尊心を高めてゆくこと、これに尽きます。貴女はどこまでご自分を神の子として信じることが出来ていらっしゃいますか? 貴女がご自分の神性を存分に信じ、豊かに(天からの御恵みを)受け取れるひとであればあるほど、この世に還元できる天のよきもの、天の豊かさも増えてゆきます。与えられる御恵みに感謝しつつ、霊的な意味でのノーブリス・オブリージュを決して忘れることなく、この世においても立派に生きてまいりましょうね。全てがよきに流れますように。God bless you!

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