どこまでも自分を高めてゆくこと

わたくしが幼い頃から今日に至るまで、「この世で生きること」について、多大なる違和感を感じ続けてきたことにつきましては、これまで何度も触れてまいりました。今でこそ、四十路にも慣れ、漸く「この世でただ普通に、ひとりの人間として生きてゆくこと」についても慣れつつ……と言うより、「もう仕方ないなぁ (^^; 」だなんて感じになりつつあります。(「生かされている身」でありながら、「仕方ない」だなんて、神様に対しておそれ多いこと甚だしいのですけれどもね (^^; )正直、そんな感じで、なんだかもう開き直っています。もう、ここまで来たら、仕方ないか、と。(←やっぱり、「仕方ない」って言ってる!!)
そんなわけで、では、わたくしが今後もこの世で引き続き、この人生をきちんと全うするためには、何が必要なのか? わたくしは自らがサイキックに目覚めた2007年頃から、自らの霊的特質等を鑑み、このテーマについて、ずっと真剣に考え続けてまいりました。そして、出た答えが生活レウ゛ェルを上げること。それも「最高レウ゛ェル」にまで、です。何をもって「最高」にするかはひとによりけりですが、わたくしはとにかく、わたくしにとっての「最高」を目指そうと決めました。だから、以来、出来る範囲内での努力は重ねてきたつもりです。まだまだ未熟者ではございますが。
で、こうして人生の、そして生活のレウ゛ェルを上げてゆこうとするならば、ひたすら自分を磨いてゆくしかないのですよね。高めてゆくしかない。それも、生活のあらゆる面において。自分にとっての「最高」を目指すなら、その「最高」にふさわしい自分にならなければならない。「ほんもの」になるには、それなりに時間がかかる。以前通販で買った、お気に入りのプチプラピアスの金めっきが最近はがれてきつつあって、「あちゃー!」と思っていたりしますけれど、それと同じで「安物の金めっき」はやがて、いつかははがれてしまう。わたくしが目指すところの「最高」というのは、具体的に言うなら、少なくともわたくしの後5代くらいにはよい影響を及ぼしてゆけるようになりたいし、慈善事業も活発にしてゆきたいと思っております(主に、若くて優秀にもかかわらず、恵まれない境遇にいらっしゃる方々のために、教育面でのサポートに力を注いでゆきたい)。そんなところを目指しているわけなのです。でも、こうした理想は、今のわたくしには「まるで荒唐無稽」で、相変わらず「妄想の塊」だったりするのですが、「それこそ人生は一度きり。後悔だけはしたくない。」一心で、少しずつ出来ることから努力を重ねていっております。
憧れの高みを目指してこそ、ひとは進歩、成長出来るのだと思います。少なくともわたくしは、自らにとっての「最高」をあきらめるつもりは【全く】ありません。ただ、いつもいつも至らない自分に辟易したりしていますけれどもね。まだまだ人間が出来ていないので、失敗しては落ち込んでばかりです。でも、冒頭の「開き直り」ついでに言えば、今は「こんなわたし」だけれど、きっと必ずいつか「理想の暮らし」を実現出来ると信じております。っていうか、もうそう信じきっております。だから、これからも地道な努力を重ねてまいりたく思います。
周囲の環境や人々は変えられない。ならば、自分が変わってゆくしかないんです。自分を高めてゆくしか。自分がひととして成長し、意識レウ゛ェルを高めてゆけば、自然と、自分を取り巻く環境も人々も変わるはず。だから、わたくしは自らの至らなさを充分認識し、謙虚に反省を重ねつつも、これからもどこまでも自分を高め続けていって、やがては「理想の暮らし」を本当に実現してゆきたいです。そしと、本当に――ボストンと札幌を往復しながら、暮らしてゆけるようになりたいです。
憧れを憧れのままで終わらせるか、それとも、自分もその次元で生きられるようになりたいと心から願い、その実現に向けて努力を重ねてゆくか、で、人生は大きく変わってくるはず。わたくしは2007年に物凄く強烈な体験をして、以来、そのとき感じた憧れがずっと胸にあって、そのときめきときらめきが、ここまでわたくしを導いてきてくれました。「あの日、あのとき、あの瞬間」がなかったら、今のわたくしはありません。
まだまだ夢は遥か遠く。でも、必ず、実現してゆけると心から信じています。そして、これからも「理想のわたし」に近づけるよう、果敢に夢に挑戦し続けてゆけるわたくしでありたいです。

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