夢の道をゆく

何か夢やお志がおありで、その実現のために人生をかけて努力を重ね続けておられる御方は、この世の中に沢山いらっしゃいます。曲がりなりにも、わたくしもそうした生き方を貫く者。なので、そうした生き方が容易いものではないことは、よぉくわかっているつもりです。わたくし自身、何度も絶望の谷底に突き落とされ、その度に這い上がってきました。わたくしの場合、どんなにくるしくても、夢をあきらめた生き方をしてゆかなければならないだなんて、到底考えられないから、だから、この生き方を続けているわけですが、それでもこうして生きることのある種の身勝手さは理解しているつもりです。わたくしの場合、実家の両親に長年多大なる負担と迷惑をかけ続けてまいりました。そのことを重々承知で、それでもなんとかこの先「出世払い」で恩返しをしてゆこうという、その思いだけで、今も実家に居させてもらいながら、夢の道をあきらめずにおります。ある意味甚だ身勝手かつ、不甲斐ないこと極まりない名前だけの「長女」でございます。(実際、妹のほうが随分しっかりしている)
こんなふうに時に自虐の念を抱きながらも、それでもなんとか夢の道を歩き続けているのは、ただただ、世間でよく言うところの「夢をあきらめないで」という言葉をお題目のように後生大事に抱え続けているからです。その実、その「あきらめない」と「あきらめる」の差は、ほんの紙一重、ぎりぎりのところで踏ん張り続けているのが真実だったりします。実際、何か夢やお志をお持ちで、なおかつなかなか日の目を見ない、花が咲かない、とおっしゃるような方は、多かれ少なかれそうなのではないかしら? 時にあきらめそうになる弱い自分とたたかいながらも、それでも夢自体をあきらめきれないから、だから自分を奮い立たせて、その時々の地道な努力を重ねていっておられるのではないかしら? そんなふうに思うのです。
紙一重、ごくごく僅差で「夢をあきらめずに居る」、そのぎりぎりのところで踏ん張り続けているうちに、そうした境地を知る者だけに与えられる、生きる喜び、天の祝福があるのではないでしょうか? 簡単に妥協せず、自分なりのこだわりを持って、どこまでも更なる高みを目指し、大きく深く生きようとする人間には、必ず、そうした者だけが知りうる人生の至福があるはずです。わたくしはいつもそうした方々に憧れ、お手本とし、わたくしもそうした方々のように生きたいから、だからそうした方々の背中を追って、ここまでまいりました。
ぎりぎりの紙一重、ごくごく僅差のところで、それでもなんとか「あきらめずに居れば」、必ず何らかの「(人生における)報酬」が与えられるはず。(=金銭としての報酬を上回る、天からの報酬)それがなんなのかはわかりませんが、わたくしの場合、少なくとも精一杯生ききって天国の門に立ちたいから、だから、わたくしはこうした生き方をやめられないのだと思います。
皆が皆、夢を生きなければならないとは思わないし、平凡でも地道に穏やかに幸せに生きてゆく人生だって素晴らしいとわたくしは思います。それでも、わたくしはもうこうして生き方を知ってしまったから。だから、今更降りられないのです。
どこまでこの道を行けるかわからないけれど。でも、たとえぎりぎりのところででもなんとか踏ん張り続けて、そう遠くない未来に新たな境地にたどり着けますように。弱い自分を必死に励ましながら、今日も夢の道をゆくわたくしなのです。

広告