一流のサイキック・リーディングをご提供させていただくために

昨日――、結局わたくしにとって、最も情熱を注げることは何か……と考えておりましたら、やはり、それはサイキック・リーディングである、と改めて気づきました。

数年前の夏、ひどい打撃を受けて、一体明日からどうやって生きてゆけばよいのか……と、ただただベッドに沈むしかなかった夜のこと。
午前3時を過ぎて、漸く涙が止まり、ふと、窓の外に輝く夏の星座を見上げたとき、思いがけず、突然、我が内の深いところから湧いてきたのは、自らがお客さまにご提供するサイキック・リーディングのセッションへの自信と誇りでした。 それはなんの根拠もないもので。でも、あんなにぼろぼろで、ただ泣き尽くすよりほかなかった、あの夜のわたくしに、ものすごく強く訴えかけてきたのです。

以来、ずっとあのときの自らの内的感覚を信じて、わたくしはここまでまいりました。
昨日も、全くそれと同じものを突然感じたのです。それは変わらず揺るぎないもので。そうして、改めて、わたくしは、自らにとって、サイキック・リーディングのセッションがどれほど大切なものであるのかを痛感したのでした。

これは、わたくしのようなサイキックの方でしたら、よくおっしゃることであり、わたくし自身も実際そう強く考えていることなのですが――、それは、サイキック・リーディングは占いとは違う、ということです。
悩みのあまり、藁にもすがる思いでいらっしゃる方からしたら、占いもサイキック・リーディングも同じようにお感じになられるかもしれません。が、前述のとおり、わたくしはこれらはまた別のものと考えております。
どちらが優れているとかそういうことではなく――、ただ、サイキック・リーディングというのは、霊的な、目に見えない情報を理解することの出来る、情報の受け手であるサイキックが、見たもの、感じたもの、理解しものをお伝えする、という点において、占いとは違う、とわたくしは思うのですね。

これはあくまでも私見ですが、占いにおいては、ある一定の理に基づきなされるもの(占星術や「しちゅうすいめい」、手相など)と、カードなどのツールを使って、お告げ的なものを受けとるものの、大きくこの2つに分けられると思うのですね。 後者はどちらかというとサイキック・リーディングに近いかもしれません。

けれど、こうして2つに分けられる占い、サイキック・リーディング、これら全てに共通することがあります。
それは、占いをする側、サイキック・リーディングをさせていただく側の☆人間としての経験、教養の幅、
そして、
☆情報の伝え手・聴き手としての力――コミュニケーション能力や、カウンセリング、あるいはコーチングの技量、傾聴力等
が問われてくるということです。

これらに加えて、いちばん根本となってくるのが、そのひとが人間として、どれだけの器を持っているか、真心を持っているか、愛情や思いやりを持っているか、職業人としての誇りと自信、真摯さ――など、です。

霊的な事象や情報を理解し得たとしても、それを現実的な、実際に伝わる、あるいは役に立つレベルに落とし込んで、お客さまにお伝え出来なければなりません。 得られた情報をとんちんかんなレベルで「翻訳」しても、お客さまには「?」なのですよね。

わたくしは女性エグゼクティブの方々をお客さまとさせていただいておりますから、やはり、ビジネスの知識や職業人としての見識の高さなどが当然求められてくるわけです。

いくら霊的なレベルで情報を得られたとしても、その情報の受け手が理解し得る範疇を越えたことは、きちんとうまく「翻訳」出来ないのです。
そういうことを避けるためにも、対象とさせていただくお客さまが生きていらっしゃレベルで自らも生きられるよう、絶えず向上し続けてゆく努力は、この職業においても必須だと思われます。

わたくしは、自らのサイキック・リーディングに並々ならぬ情熱と誇りとを持っております。
しかし、それだけでは駄目なのですよね。
その質の高さを絶えずレベルアップさせてゆくためには、ビジネスパーソンとしての自らをどこまでも高めてゆかなければなりません。 そうでないと、一流のセッションをご提供し続けてゆけないと強く思います。

これからもサイキック、スピリチュアリストとしての研鑽を積みながらも、ビジネスパーソンとしての自らをどこまでも高め続けてまいります。 そして、また、自らを本当に心から大切にし、愛する努力を重ね、自らの内にある愛の器をより大きく深く広くしてゆけたら、と思います。

まだまだ未熟ではございますが、皆様、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
全てがよきに流れますように。イエス様の御名において。アーメン。

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