不安にもそれなりに根拠がある / さよなら、傷だらけの人生



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わたくしは毎年冬が終わり、春が始まると、途端に夏を思い、ものすごーく憂鬱になります。
夏はあれやこれやと懸念材料が多く、とにかく、わたくし的には、もう、それはそれは、病的なまでに嫌でたまらないのですね。

昨夜も、あることで、また不安になって、お風呂の中で、ひとり鬱々としておりました。
ある種、病的なまでの不安は、わたくしが幼い頃からずっと抱えている「症状」のひとつで、それは確実に「不健康な状態」だと、素人ながらにも思います。

心から敬愛するアメリカの先生にも、以前、「璃い、貴女の極度なまでの不安、心配の癖は、貴女の人生にとても暗い影を落としているわよ」といったようなことを直々にアドヴァイスいただいていて。
こうしたわたくしの傾向が、スピリチュアル的にみても、とてもよくないことだとはわかっております。
なので、この春、思いきって、そうした心の癖をなおそう、と思い、先生に誓いのお手紙を書いたりしたのでした。

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でも、昨夜、ふと、思ったんです。

そもそも、わたくしが昨夜心配していたこと、というのは、少なからず、そう思わざるを得ない根拠がいくつかあって、たとえ、それが取り越し苦労なのだとしても、やはり、そうした懸念材料があるからこそ、こうして不安にも思うのだ、と。

確かに、わたくしの心配、不安の症状は、度を越しているところがあって、わたくしのこうした実情を知る方は、確実に「あんたはおかしい」とおっしゃることかと思います。

ほんと、ひどいときは、日常生活が崩壊するほど、そうした心配や不安にひどく振り回されてしまうので、何度も言うように、「ちょっとおかしい」のは間違いない、です。

でも、でも、ですね、

冷静に考えて、やはり、わたくしがここまで思うのは、それなりの根拠がありまして、過去に、いくつかの要素によって、実際、とっても痛い思いを何度もしてきて、で、相変わらず、そうしたネガティブな要素が目の前にあるから、だから、こんなにも病的なまでに心配し、不安にもなるのですね。

何も闇雲に、根拠なく、不安に陥っているわけではないのです。
確かに、その度合いには、かなり問題があるのでしょうが。

・・・

で、わたくし、思ったんです。

ポジティブに、明るく、心配せず、くよくよせず、と、先生にお約束したけれど、やはり、こんなふうに自分が思うのは、そう思わざるを得ない、確実な要素があって、それが未だ自分の周囲にあるから、だから、こんなふうに思うのはいたしかたないのだ、と。

ここまで不安に思い、くるしく、つらくなるのなら、それを無闇に否定することはないし、無理矢理、その不安をどこかに追いやって、明るく振る舞うこともない。

ただ、そう思わざるを得ない原因があることを素直に認め、そうしたいくつかの原因によって過去に経験したかなしみ、つらさ、不安、押し潰されそうな思い、そうしたものに暖かく寄り添ってあげることが大事なのではないの? って。

・・・

ここ数年、わたくしはずっと、根底から人生を変えたい!! と、それはそれは、もう、ものすごい勢いで願い続けてまいりました。

それは、もうこれ以上、本当にかなしい、くるしい人生を送りたくはない、これほどまでにくるしみ悶え続ける人生は、もう、金輪際、本当に嫌だ!! という、ものすごーい心の叫びがあるから、なのです。

夏の心配、不安も、今の環境だからこそ、の面が大いにあって。
だから、なんとかして今の状況を打破したい、と、心の底から強く強く願い続けて。

でも、それを打破することが未だ出来ていないから、ものすごく焦るし、その一方で、またあの「たくさんつらい思いをしてきた夏」が嫌でもやって来るので、それで半ばパニックになって、不安で胸が押し潰されそうになっているのでした。

・・・

そう、何も、わたくしは、ひとりで勝手にノイローゼ気味になっているわけではないのです。

自分が過去に確実に、存在を脅かされるような思いをしてきて、で、その現状がなんら変わっていないから、そうしたシチュエーションが起こった夏がまたやって来るのが、途方もなく嫌でたまらない、というわけなのですね。

何もないのに不安になっているわけではない、そう気づいたことが、非常に大きかったように思います。

そして、そこまでつらい思いをしてきた自分に、無理矢理明るくポジティブで居ろ!! と強制する必要はない、むしろ、今、また、こうして、不安を生じさせてしまうほどの、過去の心の痛み、どうしようもない孤独、かなしさ、やりきれない気持ち、そうした部分に暖かく寄り添ってあげるほうが余程大事なんじゃないの? 

昨夜はそうつくづく思ったのでした。

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先日、やっと買って、福井の黒龍さん(福井市の毛谷黒龍〈けやくろたつ〉神社様)へお参りに行く電車の中で一生懸命読んでいた上原愛加(うえはら あいか)さんのご本、『ばら色の人生の扉がひらく7つの魔法』

こちらは、本当に素晴らしいご本で、著者の愛加さんは、徹底して、自分を愛すること、自分を守ってあげること、自分を大切にすること……といったことを、こんこんと説いていらっしゃいます。

今日も、憧れの方を思うとき、わたしなんて……、と、また自分を卑下しそうになったのですが、こんな今の自分でも、沢山いいとこもあるじゃない? それにこれからだって、いくらでもよくなってゆける、成長してゆける、って思って、「胸をはって、堂々と!」(愛加さんのこちらのご本の中で何度も出てくるフレーズ☆)してみました。

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わたくしは、これまで、本当に自らを粗末に扱い続けてきました。
自分を優しく労ってあげることなんて、殆どといっていいくらい、これまでの人生、ありませんでした。

でも、これからの人生の時間においては、とにかく、暖かく優しく、穏やかに、ふんわりまろやか(これも愛加さんのお決まりのフレーズ♪)、穏やかに平和に、心地よさを大切にして、ひっそりと静かに生きてゆきたいんです。

これまで、どこに居ても、何をしていても、ずっと自分に鞭打って、自らを決して認めようとしなかったし、いつも自分の欠点ばかりあげつらって生きてきたから。

だから、いつも心が休まることなんてなかったし、心だけでなく、身体さんにも随分無理を強いてきました。

でも、もう、本当にそうした生き方は懲り懲り、なんです。

・・・

最近、新たに始めた、あるお稽古事でご一緒する皆様。
こちらの皆様は一様に穏やかでいらっしゃって、なんていうのでしょう、その場で流れている空気が全然違うのですね。

いつも自分が、自分が、と、自らの影響力を増大させることばかりを考え、お互いがお互いを責め合い、引っ張り合うパワーゲームの中にひたすら居続けてきたわたくしには、こちらの皆様の穏やかさが本当にありがたくて。
(目に見えないエネルギーに敏感なわたくしですから、そのへんはとてもよくわかるのです)

ご自分をちゃんとご自分として持っていらっしゃる方は、決して、あれこれ自らのエネルギーフィールドを無闇に増大させて、エネルギー・ヴァンパイアみたいなことはなさいません。

こちらのお稽古事でご一緒させていただく方々は、先生も含めて、皆さん、ちゃんとご自分のエネルギーはご自分の中にとどめていらっしゃる。

目に見えないエネルギーバトルがない。
これって、わたくしにとっては、本当にありがたいこと、なんです。

わたくしはいつも相手からエネルギーを奪おうとする人々を散々見てきたから。
だから、週に一度の、このお稽古事に参加させていただけることが、本当に本当にありがたいし、救われる思いでいっぱいです。

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あくまでも絶対評価で言って、ですが、わたくしは、これまでの人生、本当に散々傷ついてまいりました。

いつも軽く見られ、大切になどされず、いいように扱われ。

ひとに話をまともに聞いてもらえない、ということが、どれほどのかなしみ、ひいては絶望さえももたらすのか、我が身の体験を通して、嫌というほど、思い知りました。

でも、こうしたこと、これまで散々味わってきた嫌なことの数々も、全て「恵み」とせねばならぬのですよね。

わたくしを傷つけた人々を許せる境地には到底まだまだたどり着けませんが、それでも、こうした人生だったこと自体を恨む気持ちは殆どありません。

ただ、今は、本当に、こうしたバトル尽くしの人生を、もう金輪際やめたい、それだけが願いです。

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極度の不安神経症的な部分もあり、精神的にも不安定極まりないところがあり、アダルトチャイルドゆえの「見捨てられ不安」や、おひととのコミュニケーションにおいても致命的なほどまでの欠陥があることなど、様々に「よくないところ」が多々あるわたくしではございますが、敬愛なる先生や、憧れの方々に少しでも近づけるよう、まずは、自分を心から愛し尽くし、大事にし、労り、これまでの心の傷を癒しつつ、少しでも、自らの愛の器を大きく深く豊かに広げてゆきたいです。

どうか、全てがよきに流れますように。
皆様にも神様の祝福がありますように。
God bless you!

愛をこめて。
璃いより。

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