迷ったときほど、心の声に耳を澄ませてみる

皆様は、何か、迷われたとき、具体的にどのように行動なさいますか? 近しい方にご相談なさる? それとも、ひとり引き込もってひたすらぐるぐる考える? それとも、それとも、占いやサイキック・リーディングをご利用になる? 現代なら、コーチングやカウンセリングを利用なさる方もいらっしゃるかもしれませんね。
わたくしは、何か迷うようなことがあったとき、まず、大抵は本屋さんに直行です。まず、大きな本屋さんに行って、そこで、片っ端から、そのときの自分に必要そうな本を探してみる。そうすると、大抵、「あ、これかなぁ?」という本に出逢えますから、それを速攻買って帰って、ひたすら読む読む読む。で、それでも答えが出なければ、ネットで情報を集めてみたり、で、また、違う本屋さんに行ってみたり、図書館の蔵書に答えを求めてみたり。大抵、わたくしの場合は本に答えを求めることが非常に多い。これは大学に入るか入らないかくらいの頃からの、ずっと続いている習慣です。
と書いてみたものの、その実、いつの頃からか、自分にとって欲しい本にそう簡単に出逢えなくなってしまったのですよね。あはは。そのうち、わたくしは、自分にとって本当に必要な本は、自分にしか書けないんじゃないか?、ということに気づいてしまい。女性の生き方、とか、成功哲学、とか、そういったジャンルの本を30代前半くらいまでの間に、片っ端から読みに読み漁ってきたので、ひととおり、世に出ている大体の内容は自分の中に入ってしまっているのだと思います。(と、大胆なことを言ってみる(笑)) 
なので、今は、アメリカのウェブサイトの実用的な記事のほうがよほど役に立つ感じがいたします。向こうの内容はかなり実用的というか、とりあえずやってみたら、何らかの「効果」はちゃんとあるように思います。
でも、本当に迷ったとき、というか、ほんっとぉぉぉぉに、もうどうしたらいいかわからない!! というようなときは、やはり、わたくしは、サイキック・リーディングに頼ってきたのですよね。ま、それも今はちょっと違うかもしれませんが。特に、ここに「あくまでも一旦帰ってきてからの、泥のようなくるしみの日々」の中で、何度も、途方に暮れ、様々な先生のお力を頼みとしてまいりました。
だけれど、今のわたくしは、やはり、なんて言うのでしょう、迷ったときは、どなたかにみてもらったり、誰かに相談にのってもらったりするのもいいけれど、最終的には自分の心の声に耳を傾けるよりほかない、そう思います。
たとえ「よく当たる、素晴らしい先生」が、これからの貴女についてどのようにおっしゃろうと、結局のところ、貴女の人生を生きるのは他でもない貴女ご自身、です。いくらご立派でご高名な先生であろうと、その先生が貴女の人生を生きてくださるわけではない。誤解を恐れずに言えば、先生にとって、貴女はたくさんいらっしゃるクライアントさんのおひとりに過ぎません。でも、貴女にとっては、ご自分の人生、それこそかけがえのないたったひとつの人生、ですから、慎重にもならざるを得ないし、どうしてもよくしたいから、そうした先生にみてもらわれるのですよね。でも、先生にとっては、たとえ、その先生がどんなに心を尽くして素晴らしい みたて をなさろうと、結局は貴女はお客さまのおひとりに過ぎない。先生は、リーディングの結果、みたこと、きいたこと、わかったことを貴女にお伝えしてはくださるだろうけれど、その後、これから貴女の人生を生きてゆくのは、他でもない、貴女ご自身、なんです。どれほどの参考情報を得ようと、それをどのように使い、用い、役立てていくかは、結局はご本人さんの器量次第。となってくると、ご本人さんのお気持ち、お心、っていうか、内なる心の声がやはりいちばん大事になってくるんですよね。ならば、最初から、そこに耳を済ませてゆけばよいだけのこと。
「よいだけのこと」だなんて簡単に申しておりますが(汗)、でも、やはり、そこだけはぶれちゃいけないし、ずれちゃいけないし、たとえ、そうした先生にみてもらわれるのだとしても、最終的にはご自分の心の声にちゃんと耳を傾け、最後はご自分で決めていっていただきたい、サイキックのひとりとして、わたくしはそう思うのであります。
人生は何も、完璧に生きようとすることが目的、なのではありません。強いて言うなら、人生とは、様々な経験を積み、様々な感情を味わい、ひととして豊かな経験を積んでゆくためのもの。そして、何よりも大事なのは、そうして様々の感情を味わって、愛とは何かを学んでゆくためのもの。自らの愛の器をどこまで広げてゆけるか、そこが究極の目的、なんです。だから、そのためには、何が ○ で、何が × とか、そういう問題ではないのですよね。
以前、本田健さんのご本に、「人生、何を選ぼうが、結局、行き着くところは一緒、というか、そんなに変わらないのでは?」、といった内容のコラムがありました。ざくっというと、ま、そういうことらしい(笑)のですが、A を選んだからといって、最後の最後まで、A が永遠に続くとは限らないし、途中で事情が変わって、A を選んだつもりが、いつの間にか、B, C どころか、Z とかいう果てしなく違う道を歩むことになるかもしれない。これまた誤解を恐れずに言えば、「人生なんて、所詮、そんなもん」なんです。人間がコントロール出来ることなんて、ごくごく限られている。ならば、せめて、許される限り、心のままに、自分が本当に思うところの道を選んでみてもいいのではないでしょうか?
とはいえ、例えば、代々続く老舗のぼっちゃま or 嬢ちゃま が、長い歴史を持つ家業を「捨てて」、心のままに生きる、だなんて、そんなことは許されない、というケースもあるでしょう。そうした場合は、また、事情が異なってくるのですが、でも、わたくしは、ご本人さんに「どうしても(これがやりたい、こう生きたい)!!」、という強い思いがあるのであれば、そして、ご自分の思いを貫いてゆけるだけの強さと覚悟と決意がおありなのであれば、また、それはそれなりにことが展開してゆくのではないかしら?、と思います。ま、実際はそうそう簡単な話ではありませんけれどね。
ちょっと話がそれてしまいましたが、要は、よく言われるように、「宿命は変えられないけれど、運命はある程度自分で形作ってゆくことが出来るんじゃないの?」、というお話、です。無論、いつもいつも、全てが全て、自分の思うように選んでゆくことなんて土台無理、なのかもしれません。それでも、可能な範囲内で、わたくしは、やはり、心の声、心が導くところのことを大事にしていただきたいなって思うのです。正しい、とか、こっちがいい、とか、完璧を目指すのではなく、最後の最後、息を引き取る最期の瞬間に、ああ、充分生ききった、よい人生だった、と心から満足して言えるように。そう言えるのがいちばん幸せな人生なんじゃないの? って思うのです。わたくしは。
だから、迷ったときはもちろんのこと、いつも、出来るだけ、可能な限り、心の声を大切に。だって、その声を聞いてあげられるのは、他でもない、貴女しかおられないのですから。よりよく人生を生きてゆくためにも(しつこいようですが、ここで言うところの「よく」とは、良い・悪いの「良く」ではなく、「ひととして、今ある生を精一杯生きる」という意味の「よく」ですね)、やはり、わたくしは、心の声に耳を傾けてゆくことが大事なんじゃないの? って思います。
自分で選んで決めたことなら、きっと――、もし、たとえ、その後、どのようなことがあっても、きっと、また、自分の力で乗り越えてゆけるはず。でも、もし、ひとさんがおっしゃったことをそのまま躊躇いながら取り入れて、後悔するようなことがあったら? いくら貴女が泣き叫んでも、ひとさんが、まるまる貴重なあなたの人生の責任をとってくださるわけでもありません。大切なのは、時間をかけて、ゆっくりとでも、自分なりの答えを見い出してゆくこと。そうして導き出した答えなら、もし、たとえ後々「間違い」だったとしても、必ず、自分自身の生きる力、運命の力が、また道を整えていってくれる、と、わたくしは思うのです。
たった一度きりの今回の人生、ご自分の本当の思いを大切に、ご自分なりの歩みを大切に、一歩一歩力強く、歩んでいってくださいね。貴女のこと、心から応援しています。全てがよきに流れますように。God bless you! :)

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